≪パキスタン≫地元の新聞に日本の記事≪九月二十日≫ ―爾―午後0時半、この列車の終着駅であるラホール駅に到着した。 早速、プラットホームで入国手続きに入ったのだが、検査官が一人のためなかなか順番が回って来ない。 毛唐の一人が、ホームの水を飲み始めた。 ”オイオイ!大丈夫かい???” 俺の順番がやっと来た。 まずイエロー・カードの検査。 続いて、パスポートと入国手続きの用紙をチェックし、最後に荷物の検査が行われる。 荷物の検査は、インドと同じでそれほど厳しいものではなかったが、インドで購入してきた、ニュース・ペーパー(新聞)が没収されてしまったのには参った。 荷物の検査が終ると、駅のホームの端にある、M・C・OにてManey Changeを行った。 (20USドル≒194.6Rs) (1Rs≒31円) 両替が終ると、Booking Officeにて、国境のAttariという駅から、このラホール駅までの切符代を支払えと言われ、納得しないまま払わされてしまった。 俺 「ええ??アムリッツア駅で買った切符は、ラホール駅までの切符じゃぁ・・・・・ないの???」 叫んでみても、誰も相手にしてくれない。 良く考えてみれば、国境までの切符代と言うのも、うなずける話ではある。 やっとのことで、駅を出られる。 係員に誘導されて改札口に向かった。 改札口を出ないうちに、数人の客引きに捕まってしまった。 客引き「チープホテル!」 強引に腕を引っ張ろうとする。 ラホールの駅舎は、レンガ造りの立派な建物だ。 建物の上には、先の尖った塔になっていて、そこにパキスタンの国旗が掲げられている。 月と星が描かれた国旗だ。 そんな国旗を見ると、”あ~~~あ!俺はパキスタンまで来たんだ。”と、ため息が出てきた。 駅前は何にもないところだが、大きな広場になっていて、いくつかの露店が軒を列ねている。 駅前に停まっていた馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと進みだした。 安宿は駅から馬車で、10~15分ぐらいの所にあった。 三階建ての白い建物だ。 宿の前、つまり道路を挟んで沿道沿いに、ずらりと並んだ店がバイク屋さん。 それも日本製のバイクばかりが並んでいる。 ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキなどなど。 インドではほとんど日本製品を見なかっただけに、パキスタンと日本の関係がやけに目立つ。 * 宿のドアを開けると、すぐらせん状の階段があり、それを登って三階の部屋に案内された。 ほかに二つある部屋は、すでに毛唐が入っているようで、ドアを開けたままウロウロしているのが見えた。 部屋の中には、ベッドが二つと、天井には大きな扇風機がぶら下がっている。 ベッドは麻で編んだやつで、風通しが良いように作られているのかも知れない。 部屋代は、一日4Rsで決めた。 124円だ。 宿泊代が、124円なんですよ。 早速、荷物を部屋に置いて、食事をしようと外に出る。 レストランに入り、少々贅沢な食事を取ってしまった。 これまで移動の連続で、ろくな食事をしてなかったこともあり、はずんだ訳なのだが、これがなんと14.5Rs(450円)もかかってしまった。 食事代が宿泊代の3.5倍と言う、異常事態に陥ってしまった訳だ。 食事代が異常に高いのか、宿泊代が異常に安いのか・・・・・・どうなんでしょうね。 お腹が一杯になったところで、馬車で通って来た駅までの道を、散歩がてらに歩いていく事にした。 町の感じはインドとなんら変りはない。 車も少なく、人はゆっくりと動いている。 駅の案内に行き、ID・カードの件で問い合わせる事にした。 俺 「ペシャワールまで行くのだが、学割は使えるのか?」 受付「今日はクローズだ。」 俺 「クローズと言っても、お前がいるじゃないか!」 受付「明日八時以降だったら開いてるから、その時間にまた来い!」 駅の中をうろつきながら、ペシャワール駅行きの列車の情報を集める事にした。 掲示板には、AM9:00と10:00の二本が走っているようだ。 陽射しはきつい。 駅前の露店では、食べ物やら指輪などが売られている。 ジーッと見ていると、店のおばさんがうるさく買えと迫ってくる。 観るだけで部屋に戻る。 ベッドに身を沈めると、今までの疲れが一度に取れてしまう様だ。 * 眠ってしまっていたようだ。 目を覚ますと、午後六時。 昼間の陽射しはあんなに強かったのに、夕闇が迫ってくると寒ささえ感じるようになる。 レストランで、チキンライスとフライド・エッグ(13Rs≒440円)で、お腹を満腹にして、氷の入ったポットで好きなだけ水を飲む。 レストランの中に設置されているTVでは、何やらクイズ番組のような画面が映し出されていた。 国営放送なのか、CMが出ないうちに、十五分間隔で番組が変っているようにも見える。 TVで流される音楽も異様だ。 食事をして、TVを観て、一時間ほどレストランに座ってから部屋に戻り、シャワーを浴びる。 部屋でくつろいでいると、マスターが部屋に入ってきた。 マスター「やあ!どうだい!お前は日本人だろ!俺は第二次世界大戦のとき、パキスタン・アーミーとして日本軍と戦ったことがあるんだ。日本は強かった。強かったなあ!!今じゃ、日本は大したもんだよ。戦争に負けても復興が早かった。ここパキスタンは日本の素晴らしい製品が氾濫しているよ。」 俺 「何処で戦ったんだい?」 マスター「フィリピンさ!」 俺 「パキスタンは今でもインドと仲が悪いようだけど・・・・・、どうなの?」 マスター「インドとは今でも戦争をしてるよ。こう見えても、俺はこの街の私兵なんだ。一日に一回は銃の訓練に行っているんだぜ!!」 マスターは自慢げに話をする。 カシミール紛争が今でも燻っているのだ。 暫く話し込んでいたが、マスターは一通り喋ると部屋を出て行った。 追いかけるようにして、二階に下りて行きマスターに聞いた。 俺 「マスター!ジュースはないのかい?」 マスター「OK!すぐ持って行かせるよ。」 俺 「マンゴ・ジュースで良いよ。」 マスター「日本人、ちょっと待ってな。」 マスターはそういうと、一人の少年に一言二言耳打ちをすると、少年は外へ出て行った。 少年が返って来るまで、机に置いてあった”パキスタン・タイムス”と言う新聞に目を通した。 すると、日本の記事が目に飛び込んできたではないか。 ≪記事≫ 1、日本のタンカー”Ryoyo Maru”(52、157トン)が、台風により真っ二つになる。(写真と記事が載っている。) 2、ソ連のミグ25が、日本の函館に降り立ち米国への亡命を望んでいる。そのため米国とソ連の板ばさみになって政府が苦慮している。 3、日本の登山家、Hiroyasu Dakemotoがヒマラヤ(6455m)で遭難した。 4、ブラジルのVipが日本を訪れ、三木首相と会談した。 * こういった記事が小さく英字で書かれている。 インドの新聞を没収されたので、この新聞をいただくことにした。 ネパールでは、毛沢東が死んだことを、タイではクーデターが未遂に終ったことが書かれていた。 ”日本では今頃、どんな唄が流行しているんだろう?” ”巨人のマジック・ナンバーは出たのかな?” こんな事を考え出したのは、旅に余裕が出て来た証拠なのかも知れない。 もう夜も遅い。 天井からぶら下がっている扇風機の回る音や虫の羽音が聞こえてくる。 電気の周りは、インドと違い虫が少ない。 しかし、蟻の数がいやに多い。 部屋の中からは鍵が掛からない為に、ベッドをずらしてドアにあてて、外から開かないようにして眠る事にした。 |